先週の土曜日に、私が社会人として第一歩を踏み出したM重工Y造船所における、企画経理部門のOB会に参加しました。
学校の同窓会、企業の同期会などいくつかの集いの案内を貰っていますが、この手の集まりが苦手で、出来るだけ参加を見合わせています。
しかし、この会については、3年前に幹事から、私の都合のつく日に開催するから是非出席して欲しいとまで言われて、断れなくなっていました。
30年ぶり、40年ぶりに再会する人も多くて、会えば昔話に花が咲き、それなりに感慨も一入でしたが、平均年齢が高くて、ケアマンションに入っていたり、配偶者に死別したりしている人が多くて、老いの実態をあからさまに見せつけられました。
60年前に、私が入社して配属された造船所の経理部は、当時70人余の所帯でしたから、OBの数も多くて、対象人員は約400人、その2割に当たる85人が参加していました。
最高年齢は85歳、平均年齢は70歳前後でしょうか。
このOB会には30年ほど前から、新人が入ってきていませんから、会員の平均年齢も毎年1歳ずつ上昇していきます。まさにシニアクラブです。
新規の参入がないのは理由があります。
造船所自体が解体してしまい、事業所としての名前が変わっただけではなく、製品事業ごとに組織運営が変わってしまったからです。
かつての企画経理部門も、事業ごとに分解、分散し、本社機能に吸収されたり、同業他社の組織に編入されたり、或いは、子会社の組織と合併したりしてしまいました。
この現象は、端的に言えば、地域ごとの人材の育成と技術の錬磨を重視する集団から、事業ごとに利益を追い求める東京中心の営業集団への変化の帰結と言えます。
言い換えれば、人を大切にし、固有の技術をじっくりと育てていく日本的な企業理念から、
当座の利益計上を重視して、株主に貢献することを第一義と考える,米国資本主義の発想への転換の結果に他なりません。
M重工に限らず、日本の製造業の多くは、このような経営者の価値観の変化によって、組織運営が大きく変わってしまいましたが、これで果たして良かったのか。
いま、日本のモノづくりが、高度な固有技術と優れた品質の両面から見直されているように思われますが、それまでの、凡そ30年以上にわたって支払った犠牲の大きさは測り知れません。